ゆるりとした毎日

一日の終わりにリラックスしながら。

19日目

こんばんわ、だいぶ春らしくなってきましたね。
暖房をつけなくても平気になってきています。

さて、今日は音の話からです。

私の音との出会いはそれこそお腹の中からでしょう。
まずは母親の体内の音から始まり、10歳以上歳の離れた姉が私がお腹の中にいるときからピアノを弾いて聞かせていたとのこと。

そして、誕生した後も毎日ピアノを聞かせられました。
私自身が音楽を奏でるようになったのら3歳の頃。
姉が通っていたピアノ教室に通うようになりました。

そこの教室は耳から入る音を大事にしており、自分が演奏する曲はとにかくカセットなりCDなりで耳から吸収する事が多かったのです。
本当に音源を聞いてピアノを弾いていたので吹奏楽部に入ってから初めて楽譜をちゃんと読めるようになったほど。それまで音符の意味など、ほとんどわかっていませんでした。

そのおかげか今でも耳からはいるちょっとした音に敏感になりました。

例えば、相手が話してるときの声色。
接客業をしている私はお客様の声色を敏感に感受してしまう癖があり、サービスの案内をしているときに、困った声を出されたり迷ってる声になるとすぐに気づいてしまいます。

そういう人を前にするとサービスをおすすめできなくなってしまうので、仕事に向いていないんじゃないかと悩むことも多いです。

ただ、メインの仕事はお客様の話を聞いて改善方法や原因を教えてあげることなので、さっきと逆に、わかった!という喜びの声色も聞くことが出来ます。
納得できてないときもわかるので、その時は言い方を変えてみたり違う提案をしてみたり。

とはいえ、例えばどこどこのイヤホンが精巧な音を表現できて~とか、そういう事にはあまり興味がないので、音楽を聴いたりするときに何かこだわりを持つことはないです。
あくまで音を音として受け止める、そしてそれによって自分の気持ちが動き出す、その程度の物です。

さて、ここからは文字の話。
最近、ネットやSNSでは文字でのコミュニケーションが盛んですよね。便利なので私もやってます。
でも、よく見かけるのがニュアンスが伝わらずトラブルになるケース。悲しいですよね。そのつもりがなくても受け手の解釈次第で一瞬で崩壊する。

私の職業はそういうサービスを提供する側なのですが、なぜにそんなに執着するんだろう、と言うことが沢山あります。子供だけでなく大人もです。もっとライトユーザーでいればきっとそんなに不快な思いはしないのでは?と感じます。

友達同士揃ってスマホを弄って、その合間に喋ってる人達の声、聞いたことありますか?一方通行の抑揚のない会話。それなら一人でいたらいいじゃんって思います。

とはいえ、実家にいた頃は親そっちのけで携帯に夢中になったりしてましたが、今は年老いた親と少しでも一緒にいたいという気持ちもあり、自分のことは控えるようになりました。


色々曖昧な表現が多くてすみません。本当は明確に言いたいところも沢山ありますが、職業柄、文字に残す責任をよくわかっているので控えました。

まとまりもない記事ですね。
仕事内容に対しての疑問が溢れ出る時期なのでこんな記事になったのかな、と思っていただければ。

ではまた。